アジャイルコーチの備忘録

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「今日マネージャーは不機嫌だ」「この部屋はとても暑い」は観察か? NVCにおける「観察」を考える

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はじめに

つい先日も「事実」と「意見」をうまく分けられないビジネスパーソンについてのブログが話題になったり、アジャイルという文脈でもスクラムマスターやアジャイルコーチにとって「観察」はとても重要なスキルだと思われます。

blog.tinect.jp

そんなみなさまの関心が高そうな「観察」について、NVC(共感的コミュニケーション)の観察の考え方がとても役に立つのではないかと思い、私自身の例をシェアしながらNVCにおける観察の考え方について述べてみます。

NVCにおける観察とはなにか?

まずは、NVCに触れる以前の私がよく言っていたセリフをご紹介します。

  1. 今日マネージャーは不機嫌だ
  2. この部屋はとても暑い
  3. 彼の技術スキルは低い

さて、NVCにおいて上記は「観察」でしょうか?
NVCの案内人はよく観察について「ビデオカメラに写っていること」と言います。
ですので、NVC的には上記は「観察」ではありません。
NVCにおける「観察」的に上記の例を言い換えると以下となります。

  1. 今朝の会議でマネージャーは顔を紅潮させて、テーブルを右手で叩いた
  2. この部屋の温度は32度だ
  3. 彼はxUnitによるテストコードを書いた経験が1度もない

NVCにおいて「今日マネージャーは不機嫌だ」「この部屋はとても暑い」「彼の技術スキルは低い」は「評価」であり、NVCではまず「ビデオカメラに写っていることを描写する」ように観察することを求められ、評価と「切り離す」ことが求められます。

なぜ評価と観察をまじえてはいけないのか?

NVCが評価と観察をすすめる理由は、NVCの著作から引用すれば「観察と評価をいっしょにしてしまうと、相手は批判されたとうけとめ、こちらのいうことに抵抗を示す可能性が高い」からです。

では、なぜ人は評価と観察をまぜると抵抗を示すのでしょうか?

私は「さまざまな側面を持ち、さらに刻一刻と変わっていく複雑な自分自身という生き物」をある「評価(レッテルと呼びかえてもよいかも)」の一言で片付けられることへの悲しみが根底にあるのではないかと考えています。

私の例を挙げます。
私は妻に「あなたって本当に雑ね」と言われると思わず反発してしまいます。けれど、「あなたが散らかしたゴミを3日連続捨てた」と言われると反省し、素直にあやまろうという気持ちが湧いてきます。

そして、家庭や会社などで「雑な人」「仕事ができない」などのレッテルに反発を覚え、苦しんでいる方は多いのではないでしょうか?
NVCは事実に基づいて観察することで、評価やレッテルを人に貼ることではなくありのままのその人自身と向き合うことを目指しているのではないかと思います。

*1

観察は期間限定

前項で述べたとおり、NVCは観察を通じて人にレッテルを貼って済ますような従来のコミュニケーションのあり方を変えるように私たちを誘いますが、NVCにおける観察はもう一つ面白い特徴があります。

それは、観察は「期間限定」ということです。

またまた私の例を挙げます。
むかし、10年以上前の話になりますが、新卒入社した会社での歓迎会で一発芸を求められました。
その際、かなり下ネタまじりの一発芸をしました。
それまで女性社員からけっこう可愛がられていた(ような気がする)私は、その日から1年以上にわたり「下ネタの人」と言われ、女性社員から話しかけられることはなくなりました。

さて、果たして「下ネタの人」は存在したのでしょうか?

NVC的に言えば、そこにいたのは「新入社員の歓迎会で、みんなを盛り上げようと、下ネタまじりの一発芸をやった人」です。
NVCの観察が「ある特定の時間と状況」に限定するように注意するのは、観察が上記で挙げた人へのレッテル貼りにならないように注意している結果だと思います。

おわりに

NVCにおける観察の考えを簡単にシェアしていきましたが、いかがでしたでしょうか?
これを読んだ方は、よし、明日から観察し、「事実」と「意見」を分けてみようと思うかもしれませんが、始めからはうまく行きません(実際、私自身もうまくできていません)

なぜならば、「言葉」それ自体が「事実」と「意見」を分けるのが苦手だからです。普段使っている「優しい」「怒っている」「雑だ」「仕事ができる」などの形容詞はひとっ飛びに「事実」と「意見」をまぜるように作用します。
そして、事実を観察するのはとても時間が掛かる作業ですが、私たちのビジネス生活や家庭生活では、じっくり観察する時間的余裕をあまり与えられていません。

ですので、少しずつ、観察に慣れていけばよいのではと考えます。

最後に、NVCの本に紹介されているJ・クリシュナムルティというインドの哲学者の言葉を引用してこの記事を締めくくります。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。

評価をまじえずに観察することは人間の知性として最高のかたちである

*1:ちなみに、NVCのワークショップでは、人に対する敵対的なレッテルを「エネミーイメージ」ということがあります。個人的にも、ある人にエネミーイメージを一旦持ってしまうと、そのイメージ抜きでその人に接するのは本当に難しいです。 そして今は「優しい」とか「頭がいい」などのレッテル(評価)も、同じように人を苦しめるのではないかと感じていますが、それはまた別の機会に書きます。